鬼滅 さねげん




4.

遺品整理を終えてから、玄弥は幼い頃の夢をよく見るようになった。
兄の膝の上で絵本を読みきかせてもらったこと。
兄と一緒に夏の虫を捕まえにいったこと。
兄とアイスをはんぶんこして食べたこと。
兄に食べさせてもらえれば苦手な野菜も飲み込めたこと。
兄と一緒の布団にくるまって優しい声の中で眠ったこと。
どれもがあたたかくて忘れがたい大切な思い出だ。そして、今思えばどれもが異様だった。幼い頃の思い出に母の姿がほとんどなかったからだ。
一緒に食事したのも一緒に散歩したのも一緒に眠ったのも、全てが兄とだった。母との思い出は、実弥が家を出て行って以降のことばかりだった。近所のファストフードに行ったりだとか兄弟の誕生日を祝うといったことすら、母と兄との三人で行った記憶が全くなかった。

兄が家を出て行って母と二人での生活の中で、母の愛を疑ったことなど一度もなかった。けども、実弥が帰って来てからこの家の形の奇妙さが少しずつ見え始めてきた。むしろ、なぜ今までそれに気づかずにいられたのだろうか。
その歪みのなかで育った歪んだ子供だからかもしれない。そう思い至って玄弥は自嘲した。
母が亡くなって一週間たっても二週間たっても悲しみがまったく訪れないのがその証拠に思えた。少しばかり寂しいけど、兄がいてくれる生活が寂しさを埋めてはるかに余りあるほど楽しい。
食事を作って一緒に食べれば「学生の本分は勉強だろうが」と小言を言いながらおいしそうに食べてくれるのが幸せだし、夏期講習や部活にでかけるときは小さな子供に言い聞かせるみたいに「暗くなる前に帰って来いよ」と見送ってくれて、くすぐったい気持ちになる。
その反面、実弥が仕事相手との電話にイライラしていたり、いきなり変わった住環境での苦労していたりするのに力になれないのが悔しい。「子供が気にすることじゃねえ」と壁を作られて心配すらさせてもらえないのが歯がゆかった。
そして、ひとり外に出るたび耳にこびりつく蝉時雨が十年前の罪悪感を思い出させる。父に憎まれ、母には守ってもらえず、弟にすら拒絶の言葉を吐かれた兄を思う。
あのときはごめんなさい、これまでもこれからもずっと大好きだよ。
そんなことを伝えても、保身のための言い訳に聞こえやしないだろうか。母の謝罪の真意がどこにあるのかわからないようなシロモノだったのと同じように。それよりも怖いのは、十年経ってもまだ鮮明に痛む兄の傷口を広げるようなことにならないかということだ。

苦しめたいわけじゃない。守ってもらうばかりも嫌だ。お互い支えあって、お互いを守りたい。
そんな思いは高望みかもしれないけれど。
兄との記憶は、玄弥が物心ついてから七歳までのほんの数年しかないはずなのに、玄弥の世界をこんなにも大きく占めていることに気づかされる二週間だった。





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