携帯獣BW インエメイン
※ 所謂「ぼくのかんがえたさいきょうのサブボス」状態です
※ 特にインゴの口調が途中からがらっと変わります





酒というものは恐ろしいもので、普段捕らわれている「常識」という名の箍を簡単に緩め、
慣れというのは恐ろしいもので、「常識」から逸脱したことが繰り返されればそれが日常となる。

インゴがそんなことをふと思ったのは、自宅で弟と共に酒を嗜んでいる時だった。
日頃の疲れやストレスが溜まっていたのかエメットは早々に酔っていて、それに反するようにインゴはなかなか酔えなかった。酒の場というのはいつだって先に酔った者勝ちである。
普段は兄弟兼同僚としての適切な距離を保っているこの双子は、家で飲む時だけべったりと触れ合う。主にエメットがインゴの隣に座って寄り掛かるようなそぶりを見せ、インゴも別に嫌ではなかったから黙認しているうちに感覚が麻痺してしまっていた。いくら二人きりの兄弟だからと言っても近すぎる、と改めて思った瞬間のひとつがこの時であった。
インゴはグラスに残ったジンを呷って、ひとつ息をつく。相方がもう潰れているのなら、さっさと撤収させなければなるまい。
「エメット、もう酔ったのですか」
「ん…?」
「起きてますか」
「うーん……」
「眠いのだったらさっさと寝なさい」
「……うん」
「ほら、離れて」
「……やぁだ」
返事をしているのだか唸っているのだか分からないような応答の中で、そこだけ明確に示された意思にインゴは驚いた。
「やぁだ、じゃないですよ。お前重いんですよ。わたくしの腕を麻痺させる気ですか」
苦言を呈すれば、肩に寄り掛かっていたエメットは離れるのを拒むようにインゴの腕に腕を絡めた。随分と至近距離にあるエメットのとろんとした碧眼が悲しげに歪んだ。いつからかエメットがそんな表情を見せるようになって、ずっとそれがひっかかっていたのを思い出す。それが何を言わんとしているのかインゴが分からずにいる間に、またぽつりと呟くように「やだ」と繰り返された。
馬鹿な弟だが追い返したい訳じゃない。酒は一人で飲むよりも二人での方が楽しいのは確かだし、これ以上飲んで二日酔いに苦しむのは彼だ。ベッドで頭痛に呻くエメットにまた痛み止めを持って行ってやるのだろう、と弟に対して甘い自身の言動に推測を立てる。
エメットのためにミネラルウォーターを注いでやり、自分のグラスにはジンと同量のトニックを注ぎ、氷を入れてから適当にステアして、呷る。それなりの度数のアルコールとささやかな炭酸を嚥下すると、酔いが回った気はしないがふわりと熱が脳髄に伝わった心地がした。左腕に寄り掛かる酔っ払いに熱を移されたようだ、と取り留めもない事を考える。
「それ、やだ」
「やだやだって、わたくしにも酒くらい飲ませなさい。一人で勝手に酔っぱらって」
「そうじゃ、なくて――ねえ、インゴ」
「なんですか」
「ちょっと、かして」
なにをですか、と問おうとして、1音目で切れる。ぐいと左肩に重力がかかり、さっきまで横にあった碧い双眸が正面にきていた。続きの言葉はエメットの口の中に飲み込まれた。
喋りかけていた唇の隙間にエメットのの熱い舌が滑り込む。緩慢にでたらめに口内を荒らした後離れたエメットの双眸は満足げにとろりと細められていて、茫然としていたインゴはそこでようやく正気を取り戻した。
エメットを突き飛ばした先がソファの方向だったのは、インゴのぎりぎり残った良心故だ。
「な、なにしやがる!!」
ばふんとソファに仰向けに倒れたエメットは、突き飛ばされたことに何を言うでもなく、ふふふと笑っていた。その愉快げな様子に、怒りと羞恥で顔に一気に血が上った。
「俺をからかってそんなに楽しいか!」
「違う、違うの、ふふ、はは」
笑うのをやめないエメットに、実の弟ながら気味悪く思い、ひとつ蹴飛ばしてやろうかと立ち上がり脚を振り上げ、思いとどまった。
「だってさ、やっと、昔のしゃべりかたしてくれた」
「しゃべりかた?……あ」
指摘されてインゴはスクール時代の懐かしい口調に戻っていたことに気づく。
ギアステーションに就職して真っ先に矯正されたのがその口調だった。鉄道員と言えどバトルサブウェイに勤めるトレーナーである以上は接客できる言葉遣いを学べ、と当時のサブウェイボス直々に命じられたのはインゴの方だけだった。不良か破落戸のようだったスラングまみれの言葉を、慇懃すぎるぐらいのレベルまでみっちり仕込まれた。定着するまではプライベートでもそれを通せと言われ、最初こそ苦痛だったがやはり慣れとは恐ろしいもので、「定着するまで」と言われていたことすら忘れていた。
「あのさ、僕、インゴの昔のしゃべりかた、好き」
「はぁ」
「心の中のあついところを隠さない感じがすき。今のしゃべりかたはね、なんか壁があるみたいで、さびしくて、やだ」
さっきの歪んだ眼差しとやだやだはそういうことか、と今更得心した。接客用の仮面をいつまでも被っているなということだろう。
「ならそう言えばいいだろうが」
「だってインゴががんばってるの知ってるもん。それに、中身は変わってないの知ってる」
何がそこまでうれしいのか、くすくす笑いながらエメットはむくりと起きあがり、インゴもその隣に腰掛けた。それにまた機嫌をよくしたのか、さっきまでの眠たげだったのはどこへやら、エメットは浮かれたようにぺらぺらと喋り出した。
「だってね、デスクワーク大っ嫌いなの変わんないの、見てればわかる。でも一度やったこと投げ出せなくて、スクールのときにはなかったペンだこできてるインゴの一生懸命な手が、すき」
そう言ってエメットはインゴの腕に寄りかかり、その先にある掌を慈しむように撫でる。
「あとね、鉄面皮装ってるくせにバトル大好きって顔隠せてないのが好き。バトルのとき、青い炎みたいにぎらぎらひかってる眼見ちゃうと、ぞくぞくわくわくするのが伝わるんだぁ。僕もバトル大好きだけど、インゴのその眼が見れるから、マルチが一番だいすき」
エメットがインゴの双眸をとろけそうな笑顔で見つめるから、とっさに視線を逸らした。
なんだこれは、褒め殺しという名の新手の拷問か。逃げ出したくてしょうがないのに、酔っ払いが片腕をしっかりホールドしていて抜け出せない。
「それとね、人間にはあんまり興味ないし厳しいのに、ポケモンたちには優しいところがすき。知ってる?ポケモンに対するときだけ、声が甘くなるの。口調は変わんないのに、声がリキュールみたいにとろっと甘くて、そんな声が好き」
エメットが伝えてくる好意が耳から順にぐずぐずに融けそうな酔いを回す。逃げることのできない攻撃に耐えられず、少しでも正気を追い払おうとジントニックを飲み干してもアルコールはちっとも回らなかった。
「あとはー、うーん、何言おうと思ったっけ」
「言わんでいい」
「やだ、言う。もっとしゃべりたい」
「いいって言ってんだよ。もう寝ろっ!」
「あ、そうだ、1個思い出した!」
「聞けよ!!」
「えっとね、インゴが僕にだけこういう距離許してくれるのが、すき。友達にも女の子にもこんなことさせないの、知ってる。臆病で甘ったれの僕をそっと甘やかしてくれるのが、嬉しくて大好き。すき、すき、」
それっきり、呪文を謡うように「好き」ばかり繰り返す頃には、インゴの頭はすっかり茹だっていた。エメットが兄を照れ殺したくて言っているのではないことは分かっていた。ちらりと横目で見た碧眼はほとんど瞼の裏にしまわれていて、フェードアウトしていく声はほとんど寝言か譫言に近くなっていた。
そうか寝言か、と無理矢理納得させてグラスを再び手に取ったところで、消えそうな声を耳が拾った。
「いんご、すき、あいしてる」
途端インゴの肩にかかる重みが増し、エメットは口を閉じた。意識のない体重がかかったために手がぶれて、グラスがからりと鳴った音だけが部屋に場違いに残る。
「おい、エメット……?ここで寝てると風邪引くぞ」
呼びかけても肩をゆすっても起きる気配はなく、インゴはひとつ大きく息をついた。言葉の真意を問い質したくて起きて欲しいという気持ちと、目覚めては欲しくないという気持ちが同居する。鏡を見てはいないが、耳が真っ赤になっている確信があった。
体温が移ったように体が熱い。随分と血の巡りが良くなったようだ。グラスにジンを継ぎ足してストレートで一気に呷れば、茹った体にアルコールはすこぶる効いた。都合の良い事にソファの端には厚手のブランケットが常備してある。このまま酔って寝れそうだった。
二人まとめるようにブランケットを被り、先に寝入った片割れを見る。最後に爆弾を投下していったくせに、その当人は安らかな寝息を立てているのがどうにも憎たらしい。しかし嫌いになんてなれない。それどころか。
「俺も、愛してるぜ。言葉にできないくらいにな」
寝顔に語りかけるように呟き、途端照れがインゴを襲う。酔っ払い相手になにやってんだか、とひとりごちてブランケットを被り直してインゴも目を閉じる。多少体調が崩すかもしれないが、仮面の下に無意識に隠していた想いを少し吐き出した解放感で安らかに眠れそうな気がした。






これとシチュエーションを少しかぶらせてみたけど深い意味はない。
インゴは、普段はノボリみたいな口調なのに、素が出ると硬派不良にスラング混ぜたみたいな口調になるといい。
蛇足的な翌朝の話はこちら